2008年 12月 19日

UB student - Riiny Ngot

ブリッジポート大学には様々な背景を持った各国からの留学生がいます。その中の一人、現在男子バスケットボールチームで活躍をしているRiiny君のアメ-ジングストーリーを紹介しましょう。

紛争が激しさを増すアフリカ、スーダン出身の彼は赤十字が言うスーダンから"失われた子供達 - The Lost of Boys of Sudan"の一人です。死の道を何度も乗り越えてきたRiiny君。今も明かりをつけていないと夜は恐怖で眠れません。その彼が偶然にも実の叔父であり、UBの学生として当時Purple Knightsで大活躍をしたマヌートボルと同じ道を現在歩んでいます。

Ngot grows from painful journey.

b0090762_6375827.jpgスーダンはMuslim Sudanese 政府とDinka部族との国内紛争が絶えません。Riiny君の家族はDinka部族でした。

Riiny君のストーリーは11歳の頃にさかのぼります。両親が留守の間、Muslim Sudanese政府はDinka部族の村を攻撃、彼はそこでおじいさんを含む全ての村人達の死と面します。更に炎に包まれる家の中で悲鳴をあげている当時8歳の妹を助けに家の中に飛び込んだRiiny君は足に大焼けどをおいましたが、治療のすべもなく約1週間以上を木陰で妹と共に過ごしたといいます。食べ物は攻撃の際に犠牲になった動物でした。

その後レフュジーキャンプに連れて行かれるようになりますが、身の危険を感じた彼は妹と共にそこから逃げ出します。目的地は両親がいるだろうと思われるWau。でも地図もなく暗闇の中、どこに向かっているかもわからず、ただただ歩き続け、その中でRiiny君は100人、1000人という他の子供達と出会いました。この子供達のことを赤十字は"The Lost of Boys of Sudan”と呼んでいます。全てそれぞれのキャンプからの子供達でした。あてもなく、ただただ生きる為に歩き、生きる為に闘ったと彼は話します。

結果として子供達は南に向かっていました。ケニヤの方向です。しかしケニヤに到達する為には彼らにとって死の川を渡らなくてはいけなかったのです。それは春の雨季にあたる最も降水量が多い時期でした。Gilo川はわにの生息地なのです。多くの子供達のジャーニーがここで幕を閉じました。Riiny君は他の子供達の悲鳴と血で染まった川の中で、彼のベストフレンドもまたわにの犠牲になるのを目のあたりにしました。恐ろしい状況の中、引き返すこともことも躊躇することもできませんでした。

この日、300-400人の子供達がわにの犠牲になりました。望みは唯一つ。川を渡りきることなのです。この時Riiny君をお母さんの言葉がガードしました。
"She was very religious and she always told me that God was there with me through these terrible times. And me and my sister would pray and these other kids would say, 'There's no God. If there's a God, why are these things happening to us?' I just kept remembering her words and it helped me a lot. It was a miracle because I am a survivor."
川を渡りきるのは不可能であろうと思われる状況の中でRiiny君は妹共にケニヤにたどり着くことができたのです。彼にとって今から10年前の出来事ですが、今もこの日の出来事は彼にまとわりついていると言います。

その後も彼のジャーニーは続きます。Riiny君が15歳の時でした。カナダに住んでいる親戚が彼の名前をインターネットで見つけたのです。このことがきっかけで彼は妹共にカナダに来るようになり、後日Sudanese家族との出会いを通して両親が生きていることを知ります。
"It was one of my happiest days," Riiny said. "They were still in the Sudan but they were alive. I'm looking forward to seeing them soon if I have a chance to be united with them again."
全く違った地で子供の絵本やビデオを借りての英語の勉強が始まり、高校1年生からは彼のバスケットボール人生がスタートしました。

今、彼には二つの夢があります。一つはNBAでプレイすること。そして二つ目は家族との再会を果たすことです。

私の最大の夢はお母さんにプレイしている姿を見てもらうことです。お母さんは私の身長が7.2フィート(219 cm)もあるなんて知りませんし、私が立派な男性になったなんて思わないでしょう。なぜなら子供の頃私は傲慢でしたから。お母さんと電話で話す時、こういうのです。
"'Mom, I've changed.' I had to take care of my sister and that made me grow mentally and physically and emotionally and spiritually. It helped me a lot."
*Connecticut Post紙の11月11日の記事から抜粋*
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by bestofub | 2008-12-19 04:20 | UB ニュース


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